こんにちは、Massaです。
今回から中国語学習の論語編と言うことで中国で売られている子供用の論語解説本を教科書にして、中国語の学習と論語の学習をしていきたいと思います。
本編第一回目の今回は「学而第一」の最初の句から学んでいきましょう。
原文
子曰:“学而时习之,不亦说乎?有朋自远方来,不亦乐乎?人不知,而不愠,不亦君子乎?”
論語原文日本語訳
子曰く、学びて時にこれを習う。亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして憤(いきどお)らず、亦た君子ならずや。
覚えたい単語
释文(訳文)评析(考察)历来(昔から)解释(解釈する)温习(復習)练习(練習)连贯性(関連性)要是(もし)被(〜される)纷纷(続々と)即使(たとえ〜でも)怨恨(うらむ)恼怒(怒る)懂(分かる)讲述(道理などを述べる)所〜的(〜するだけだ)以〜为・・・(〜は・・・ということは)做到(実行する)不厌( 厭わない、嫌がらない)总之(要するに)注重(重視する、重んじる)认为(~と考える)自圆其说(自分で話の辻褄を合わせる)
学而1 -1 单词(覚えたい単語pdf)テキストでの訳文
译文:孔子说:学了又时常温习和实习,不是很愉快吗?有志通道合的人从远方来,不是令人高兴的吗?人家不了解我,我也不怨恨,恼怒,不也是一个有德的君子吗?
訳文:孔子は言いました。:学んでよく復習し実践する事は楽しくないですか?志を同じくする者が遠方より訪ねて来れば心高ぶりませんか?人々に私の考えが受け入れられずとも私は恨んだりしない。それが徳を積んだ君子と言う者ではありませんか?
ワンポイント!
不是~吗?を使うことで
「~ではないですか?」と言う問いかけの言葉になります。
この句の考察をしましょう!
历来的解释都是:学了以后,又时常温习和练习,不也高兴吗等。
以前からの解釈は全て「学んだのちよく復習し練習することは楽しくないですか?」等。
三句话,一句一个意思,前后句子也没有什么连贯性。
三つの節はそれぞれ一節一つの意味になっていて前後と何の関連性も無いと言う解釈でした。
但也有人认为这样解释不符合原义,指出这里的学不是指学习,而是指学说或主张;时不能解为时常,而是时代或社会的意思;习不是温习,而是使用,引申为采用或采纳。
しかしこの様な解釈は元の意にそぐわず、ここで示す「学」とは学習ではなく「学説」や「主張」を指し、「時」は「常にや良く」と解釈せず「時代」や「その時の社会」を意味し、「习」は復習ではなく「受け入れられる」や「採用される」から派生して使われているのではと考える人もいます。
而且,这三句话不是孤立的,而是前后相互连贯的。
つまりこの三つの節は独立しておらず前後相互に関連しているのであると。
其意思是:自己的学说,要是被社会采用,那就太高兴了;退一步说,要是没有被社会所采用,可是很多朋友赞同我的学说,纷纷到我这里来讨论问题,我也感到快乐;再退一步说,即使社会不采用,人们也不理解我,我也不怨恨,这样做,不也就是君子吗?
その意味とはこうである:自分の学説がもし社会に受け入れられればそれはとても嬉しい事だ。続いて・・もし社会に受け入れられずそれでも多くの友が私の学説に賛同して続々と私のもとを訪れ問題について討論すれば私もとても楽しい。さらに続けて・・たとえ社会に受け入れられず人々も私のことを理解できなくとも私は恨まない。それが君子たる者ではあるまいか。
这种解释可以自圆其说,而且也有一定的道理。
この様な解釈ならば話の辻褄を合わせることができ道理も通ってくる。
此外,在对“人不知,而不愠”一句的解释中,也有人认为人不知的后面没有宾语,人家不知道什么哪?
これ以外にも、「人不知,而不愠」の解釈についても「人不知」の後ろに述語がないので「人々は一体何を知らないんだ?」と考える人がいます。
当时,因为孔子有说话的特定环境,他不需要说出知道什么,别人就可以理解了,却给后人留下一个谜。
その頃、孔子が話をする環境では他の人はすでにその「何か」について理解していたのでそれを言う必要が無く、かえって後の人に一つの謎を残したという事ではないでしょうか。
有人说,这一句是接上一句说的,从远方来的朋友向我求教,我告诉他,他还不懂,我却怨恨。这样,人不知就是人家不知道我所讲述的了。
またある人はこの一節は前の一節に繋がっていて「遠方より友が私に教えを求めてやって来て、私が彼に教えてもそれを理解できなかったとしても私は恨まない」つまりこんな感じです、「人不知」は「人々が分からずとも私は教えを解くだけだ。」と。
ワンポイント!
所~的を使うことで
「~するだけだ」と言う断定の言葉になります。
这样的解释似乎有些牵强。
この様な解釈はちょっとこじつけではあります。
总之,本章提出以学习为乐事,做到“人不知而不愠”,反映出孔子学而不厌,注重修养,严格要求自己的主张。
つまりこの章で出てくる「学習は楽しい事なのでたとえ人に理解されずとも恨まない」と言う言葉に孔子が修養を重視し学ぶ事に対して諦め無い厳格な自己主張を反映している。
ワンポイント!
以~为・・・を使うことで
「~を・・・とする」と動作や行為の拠り所や仕方を表します。例:以英雄为榜样 訳:英雄を手本とする。
このことから学べること
孔子の言う学問とは?
孔子の言う「学問」というのは今の「学問」の定義とは違っていて「道徳的に正しいことを学ぶ事」を意味し、またそれを「理想の政治に活かす術を学ぶ事」だったと言います。
そして孔子の理想とする「徳のある者」とは歴代の帝王を指しており、民からも尊敬される立派な王の道を学ぶ事にあったと言います。
論語に出てくる「君子」とは場面などによって意味合いが少し変化することはありますが、「指導者たる立場の人」「徳の高い者」「万人に尊敬される立派な人」などの意味になります。
より良い社会を作るために
現代社会に当てはめてみても孔子の言う学びを忘れてしまっている人は多いのでは無いでしょうか?
会社では上の立場にある上司もそうですし、プライベートでは先輩後輩関係、政治家たちも人々を先導していく立場にあります。
その様な立場にある人たちの中にはもちろん人から尊敬される立派な人もいますが、自分の利益や欲望の為に立場を利用して周囲の人を貶めたり騙したりしている人も多いのでは無いのでしょうか?
また人はそれぞれの立つ位置によって、例えば・・・親になったり先輩になったり上司になったりと誰でも誰かの上に立ち導いていく立場に立たされる事があります。
なので政治の世界だけでなく会社や家庭も含めてより良い社会を作る為には、”学而时习之,不亦说乎?”「学びて時にこれ楽しからずや」の精神、つまり個人が個人が自分に磨きをかけ知識だけでなくメンタル面でも強くなる事。
そして”人不知,而不愠”「人知れずして憤らず」の精神を持って人に自分の主張を押し付ける事なく皆と侃々諤々の討論をし、あらゆる方面から議論のできる世の中を作っていくことが重要なのでは無いでしょうか。
まとめ
今回は論語の“学而第一”より
子曰:“学而时习之,不亦说乎?有朋自远方来,不亦乐乎?人不知,而不愠,不亦君子乎?”
の中国語考察を見ながら中国語と論語の勉強をしていきましたがいかがでしたでしょうか?
今後もこのやり方で中国語学習と論語学習を続けていきたいと思いますのでよかったら是非また一緒に勉強いたしましょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
Massa
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